★うまい絵って?

 さて、一応、絵を描くことに関してある程度のスキルは持っているんで、それなりの絵は描けるのだが、それを『うまい』と表されるのは、実を言うとあまり嬉しくない。
 それはなんでかなー、というのが今回のお話し。

 いきなり種明かしをしてしまうと、以前TVの番組の中で『上手い絵はダメなんです』といっていた人がいた。
 何を隠そう、それは故岡本太郎氏なんだが、その当時まだ中学生くらいだった僕の感想はなんら創造性に富んだものではなく、「なに言ってんだこのひと」の一言であった(^^;;。
 だって下手な絵と上手い絵だったら上手い方が良いに決まってるし、ホカホカの炊きたてご飯と、食えないご飯だったら食える方が良いに決まってる。

 で、岡本氏の言葉の意味がわかったのは25歳くらいの時かな。
 近くのデパート(というか大手スーパー)で母の日(多分)の催しもので、『おかあさんの絵』を展示していた。
 大体3歳〜6歳くらいの子供たちの作品だったと思うんだが、正面入り口のガラス面にずらりと並べられた『おかあさんの絵』を何の気なしに観ていて急に気付いたことがあった。
 3〜4歳の子供の絵の方が、年上の子供の絵よりも見ていて『良い』のである。

 年齢が上がれば画材の使い方も覚えるし、手先だって器用になってくるから表現の幅は広がるはずなのに、なぜ絵がつまらなくなってくるのか。
 並べられた絵を眺めながらしばらく考えていたのだが、姉弟が別々に描いたと思われる2枚を見たときに、その理由が見えてきた気がした。
 モデルは当然同じ『おかあさん』なのだろうが、弟が描いた『おかあさん』の絵は、不器用な大きな丸のなかに顔のパーツが雑然と並べられ、アゴの脇の大きなホクロが目立っていた。
 反面姉が描いた『おかあさん』はこぎれいに描かれていて、大きな目に星が光り(^^;;、三角の口で微笑んでいて、アゴのホクロが小さく描かれていた。
 この場合も、もちろん弟君の絵の方が『良い』と感じられた。

 何故だろうか。
 僕の考えでは、弟君は自分の母の絵を、彼自身の目で見て、感じたままに描いているからだと思う。
 一見不恰好に見えるアゴのホクロは、彼にとっては『お母さんのしるし』だから大きく描いたのだろう。
 それは、もちろん母の気持ちが介在しない、純粋な弟君の感性だ。
 対して、姉は上手い絵、母に誉められる絵を描こうとしているのが見て取れる。
 大きくてキラキラした目は、マンガやTVアニメの影響だろうが、それは彼女が見た母ではないだろう。
 あえて小さく描いたホクロは、そのホクロを母自身が嫌っていることを知っているから、あえて小さく描く。
 本当に小さいホクロだったら描かないのではないかな?  
 
 そこに描かれているのは、『きれいなお母さん』ではなく、『きれいに描くと喜ぶお母さん』なのではないだろうか。
 
 僕自身は親の絵なんぞ描いた記憶はないのだが、もし3〜4歳の時に母親の絵を描いていたとしたら、タバコを片手に持った姿で描いていたろうと思う。
 夜の暗い道をあるいているとき、タバコの火が母親の目印だったから。
 でも、本当にそれを描いていたら嫌な感じだよな、やっぱり。

 で、うまい絵がダメな理由。
 それは、うまく見られたい、誉めてもらいたいという気持ちが、本当に描きたいものを閉じ込めてしまうからだと思う。
 もちろんキレイに描くことも美点だし、技術をもつことは大事だが、うまい『だけ』では何も感じない。
 小説などでは『行間を読む』ことが大切とされるが、これは文字になっていない部分を読み取ることをしめすものの、行間になにも書かれていなかったらそんなものは読めまい。
 絵もおなじなんだと思うよ。
 でも、その絵の行間は、絵がうまいかどうかどうかとそれほど関係ない。
 だからうまいかどうかと、その絵の価値にはそれほど大きな関連性はない。
 ただ、表現するための方法論と技術は必要なのだろうとは思うけど。

 ピカソの絵とかだとわかりやすいんだけど、彼の作品を『変な絵』と言ってしまうのは、『行間』を読んでいない証拠。
 そこに何が描かれているか、なにを伝えようとしているかはその向こう側にある。
 …晩年の作品になると僕にもわからないけどね(^^;;(でも実物を見ると圧倒されるのは確かだ)。
 何のことか分からない人は、箱根にでも行く用事があったら一度寄り道してみるのも良いのではないかな?

 というわけで、絵を見るときには(僕の絵に限らず)うまいかヘタかだけじゃなく、もっと違う『何か』も感じ取ってあげて欲しいなと、見る人に願ってみたりする。
 『こわい』とか『さびしい』とか『たのしい』とか、そんな小さいことでも良いから感じ取れれば見方も変わると思うよ。



2001年7月22日

Go Home  Go Index